仕入れ拠点の多様化。
そして東南アジアでの
ビジネス展開の可能性を探りに
鯨岡洋介と話す人は、必ず彼の笑顔に引き込まれる。「笑顔は本当に大切ですよ」とひょうひょうと話す彼の心の中は本当に熱い。「次へ次へ」と自らが勝ち取って、同期では一番のスピードで店長になっても、野望はとどまることを知らなかった。
鯨岡洋介
2006年入社
テキサス・ルーサラン大学
スポーツマネジメント専攻卒業
クロステックスポーツ(株)
プロダクトマネジメント部
10年目
クロステックスポーツ(株)出向
7年目
プロダクトマーケティング部門でPB開発
6年目
ゼビオスポーツららぽーと柏の葉店の店長に抜擢
2~5年目
早くからチーフマネジャーに昇格
2006/04
留学生フォーラムでゼビオに出会い入社
入社前
アメリカの大学で苦闘
ど新人の私が出したアイデアが商品に反映された!
 入社後、最初に配属されたのは郡山の西ノ内店でした。一番覚えているのは、入社1年目の私に対して、いきなり「バスケット部門のプライベートブランド(PB)の来期向け商品開発の知恵を出せ!」というミッションが与えられたことです。知識も何もなかった私は、ひとまずこの数カ月で一番売れた商品を並べてみて「売れる共通点や法則があるはずだ」と考えてみました。すると「バスケットTシャツはボールの絵があると売れる」「ボールにコートがプラスされるともっと売れる」という法則を見つけました。それを先輩に報告したら、「せっかくお前が見つけたんだから、お前が話してみな。」と、PBの製造を委託している商社との商談に同席させてもらうことができました。最終的に、私のような新人が考えたアイデアが実際に商品構成に反映されて、とてもうれしかったのを覚えています。
つらくてつらくて「閉店」をみんなに言えなかった
 店長になったのは、入社6年目。内示の際には、「やったな」と思いました。 私が店長になったのは、後に「エクスプレス業態」と呼ばれる、ゼビオの中では小さな約200坪の店舗でした。「ゼビオの持つ膨大な商品群の一部しか置けない都市型の店舗に、どんな商品をどのぐらい置けばいいのか」という、今後の展開を見据えた実験を兼ねた店舗でした。実験店舗という位置づけだった事もあり、契約期間に制限がありましたが、新しい店舗で新しい事が出来るという事はとても魅力的で夢中になれました。
 しかし、時間はあっという間に過ぎるものです。予定された契約期間を終え、満期終了の日が近づいてきました。私は店舗経営の中では「家族をつくりたい」という気持ちで、日々、本気でスタッフと向き合ってきました。閉店が決まってみんなに言えなかった2週間、みんなに告げた終礼、入社して一番つらかった時期でした。
生産拠点拡大とビジネス展開の可能性を求めて
 その後。本社のプロダクトマーケティング部門に異動。プライベートブランドの在庫コントロールや来期の商品企画を担当しました。
 ブランドマネジャーのもと、生産委託先と一緒に商品企画から生産までを担当できるこの仕事はとても楽しいです。実は2013年12月から商社に出向してタイのバンコクに赴任しました。生産国を幅広い国々に拡げて行くことは今後重要になってくるでしょう。ゼビオは既に中国・韓国に出店していますが、出店だけじゃない新たなビジネスの可能性を探るという意味でも絶好の機会だったと思います。
私を飽きさせない会社。それがゼビオ
 新人の頃は「なんで海外の大学まで出て、商品出しを夜遅くまでやらなくちゃいけないんだ」、正直そう思ったこともありますよ。だけどその時はその経験が必要だったんです。現場を知っておかないと、たとえば商品企画に異動した時に、店舗のスタッフの動きやお客様をまったく考慮しない商品開発をするようになってしまう。「ゼビオは現場が全て」と言われるのは、どの仕事も必ず現場に、そしてその先のお客様につながっているからなんです。
 会社から次々と与えられる課題。それを「忙しくて嫌だ」と捉えるのか、「もっと欲しいもっと欲しい」と捉えるのか、その違いが大きいと自分は思っています。だから飽きないんです。